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Research on Economy and Disability
学術創成 総合社会科学としての
社会・経済における障害の研究

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東京大学大学院経済学研究科 READ

§障害をめぐる出来事・取り組み

エッセイ一覧(日付順)

§障害をめぐる出来事・取り組み

2010年5月10日

障がい者制度改革推進会議 (長瀬修)

歴史的な動きが起きている。今年の1月12日に開始された内閣府の障がい者制度改革推進会議(以下、「推進会議」と略)である。これは新政権がマニフェスト(政権公約)で掲げ、実際にこれまで達成した数少ない項目である。

この推進会議の特徴は、障害者の権利条約の交渉過程で繰り返された“Nothing About us without us”(私たち抜きで私たちのことを決めないで)の原則を、日本の政策立案・決定過程で実現したことである。

それは2点で具体的に示されている。一つは、推進会議の構成員の過半数が障害者やその家族を代表する組織から選出されていることである。日本の障害分野の組織の連合体であり、権利条約の交渉過程を通じて、政府との意見交換を行い、様々な提言を行ってきた日本障害フォーラム(JDF)から、多くの構成員が選出されている。様々な形で、障害者の権利条約交渉に実際に参画した構成員が多い。したがって、障害者自身である構成員が多く、非常に具体的で切実な経験が議論で活かされている。

もう一点は、この推進会議の事務局員に、新たに内閣府の職員として民間から採用された障害者運動のリーダーが含まれていることである。内閣府参与として推進会議の担当室長にはJDFの推薦を受けて、障害者の権利条約交渉過程で、日本政府代表団に顧問として加わった東俊裕弁護士(DPI日本会議所属)が就任している。これも、行政主導と言われてきた従来の審議会と画期的に異なる点である。

このように、ようやく日本でも、政策立案・決定過程への障害者の本格的な参画の仕組みができたことを大変うれしく思う。こうした仕組みが障害分野で機能させることができれば、他分野への好影響も間違いなくあるだろう。

こうした「当事者」中心の仕組みが有効に機能することを証明するという大きな課題を、推進会議は担っている。私自身、この推進会議の構成員にという打診を受けた際に、この歴史的な取り組みの一翼を担うことを光栄に思うと同時に、非常に大きな責任を痛感した。

推進会議は、今夏までの中間取りまとめの作成に向けて、急ピッチで会合を重ね、4月末までにすでに9回会合を開催した。2回目以降は毎回4時間の会議であり、4月と5月は月に3回の会合というハードスケジュールである。2月から4月までは、東室長が提示した論点に対して、構成員は事前に文書で意見書を求められた。全部で24名の構成員からの意見書をまとめると膨大な量になった。例えば、大きな焦点である教育に関する構成員からの意見書は、9万6千字を越え、A4でも100ページ以上である。

推進会議での私たちの議論の詳細については、ぜひ、推進会議のウェブサイト(注)をご覧いただきたい。会議の資料、議事録そして、動画が掲載されている。

こうした推進会議の意見が政治の場で本当に政策に反映されていくのか、それは政治情勢に左右される点も大きく、現時点では不透明な要素が大きい。権利条約の方向性に従った政策変更への抵抗の強さも体感している。

しかし、少なくとも、こうした障害者中心の政策立案・決定機関だけは、どのような政権下でも当然とみなされるような実績だけは残したいと願っている。皆様に是非、強い関心を寄せていただくことを心からお願いする。

(注)
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/
kaikaku.html#kaigi

長瀬修 (ながせ おさむ)
 東京大学大学院経済学研究科 特任准教授
 ウェブページ:
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~nagaseo/

§障害をめぐる出来事・取り組み

2010年3月10日

知られていないことのやっかいさ (西倉実季)

「アルビノ殺人」恐れ、1万人が避難 アフリカ南東部

アフリカ南東部のタンザニアとブルンジで、生まれつき色素を持たず皮膚の色が白い「アルビノ」の人々約1万人が、殺人被害を恐れて政府が設置した避難所などに逃げ込んでいることが、国際赤十字の報告で明らかになった。

両国では、「アルビノ」の体には特別な力が宿るという伝統的な考えから、臓器や体の一部など売却する目的で、アルビノの人々が殺されるという悲劇が後を絶たない。2007年以来、タンザニアでは少なくとも44人、ブルンジでは14人が殺されている。

(2009年11月30日 CNNニュース)

「アルビノ」とは、常染色体劣性の遺伝性疾患である。全身のメラニン色素をまったく、またはわずかしかつくることができない。そのため、皮膚は白く、目の色は灰青色、髪の毛や体毛は白や金色など、外見に大きな特徴がみられる。眼球の色素も不足していることから、遺伝タイプによって異なるが、視力障害をともなうことが多い。

「やっぱり実際に起きていることなんだ」。アフリカでのアルビノ殺人については多少知っていたが、現実の確かな出来事として認識できたのは、インターネットでこのニュースを目にしたときだった。

アルビノ殺人を知ったのは、アメリカのNPO団体「Positive Exposure」の活動について調べている過程だった。ニューヨーク在住の写真家リック・グイドッティが1997年に設立したPositive Exposureは、遺伝性疾患をめぐるスティグマの解消と無知の改善をめざして、アルビノなどの疾患をもつ人々を写真に撮影し、その作品を「肯定的に見せる(positively expose)」という活動を続けている。この団体がとくに力を注いでいるのが、アフリカでの教育や啓蒙である。というのは、迷信が根強く残るアフリカのある地域では、アルビノの人々が深刻な被害にあっているためである。たとえばタンザニアでは、アルビノは神秘性を帯びており、その身体部位が「魔法の薬」や「縁起もの」と考えられているため、アルビノの人々が虐殺の対象となっているという。また、ジンバブエでは、アルビノの人と性交渉をするとHIV/AIDSを治すことができると信じられているため、レイプ被害が報告されている。

日本はというと、さすがに殺人は起きていないとはいえ、アルビノが一般に「(正しく)知られていない」という意味では似たような状況にあるのではないだろうか。アルビノの人々の社会生活や心理はほとんど研究されていないうえ、日本で当事者団体が設立されたのはごく最近のことである。2008年に「日本アルビニズムネットワーク」が活動を開始する以前、アルビノの人々はまさに「少数者以前の孤立者」(注1)だった。学術研究や当事者活動が立ち後れたこともあり、アルビノに対する社会的な認知はきわめて低い。「アルビノ」という言葉は聞いたことがある人でも、それがどのような疾患なのか、アルビノの人々がどのような社会生活を送っているのか、正しく理解している人はけっして多くはないだろう。その目立つ外見とは裏腹に、集団としてのアルビノの人々はこれまで不可視化されてきたのである。

 知られていないというのは、当事者にとってさまざまな「やっかいさ」(注2)をもたらす。たとえばある女性は、学生時代に飲食店のアルバイトに応募したところ、「金髪に染めている」と誤解され、面接にさえ応じてもらえなかったという。その外見から「ガイジン」と勘違いされることも頻繁にあるそうだ。

「ねぇ、あの人、ガイジン?」
「えー、違うんじゃない? だって顔立ちがガイジンじゃないよ」
「でも、あの髪の色だよ。肌もすごく白いし」
「うーん、どっちかなぁ」

これは、彼女が再現してくれた街角ですれ違う人たちの会話である。また、ある男性が直面しているのは、弱視者という存在があまり知られていないがゆえのやっかいさだ。向こうから歩いてくる人の顔がはっきり見えないため、知り合いとすれ違っても、自分からあいさつすることができない。しかし、弱視の人は一見しただけでは視覚障害者だとはわかりにくいため、相手には無視をしたと勘違いされたり、「ろくにあいさつもできない無礼なやつ」とよくない印象を持たれてしまうのである。

もちろん、アルビノの人々は、こうしたやっかいさにただ悩まされているだけではない。先述した日本アルビニズムネットワークは、無知や誤解のせいでアルビノの人々やその家族が多大な不利益を被ってしまう状況を何とかするべく、アルビノに関する正しい知識を社会に発信していく活動を展開している。知られていないことを知らせていくこと。たしかに、アルビノの人々が置かれた状況を改善していくためのごく初歩的な取り組みにすぎず、その先をどうしていくかがむしろ重要なのかもしれない。しかし、困難を経験している人々の苦しみや存在さえもが認識されず、また認識されていないことがまさに問題であるとき、「知らせていくこと」は状況を切り開く確かな一歩となるだろう。苦しみや存在の不可視化に抵抗することに研究としてどう関わっていけるか、答えはすぐには見つかりそうにないが、考え続けていきたいと思っている。

  1. これは、顔に疾患や外傷のある人々による当事者団体「ユニークフェイス」にかんする岡知史(上智大学教授/セルフヘルプ・グループ研究)の表現を借りた。
  2. 倉本智明,2006,『だれかふつうを教えてくれ!』理論社, p. 68.

西倉実季 (にしくら みき)
 東京大学大学院経済学研究科 特任研究員

§障害をめぐる出来事・取り組み

2008年10月5日

障害というコトバ:メモランダム2 (川島聡)

前回に続いて、障害者の権利条約の前文(e)に記された「障害」というコトバについて少し考えてみたい。現在のところ日本政府の仮訳では、“disability”と“impairment”とは訳し分けられていない。両者とも、「障害」と訳されている。しかし思うに、条約正文において両者が使い分けられており、両者が異なる概念である以上、基本的に両者は訳し分けられるべきである。

では、日本語では、どのように訳し分けたら良いだろうか。ひとつの例として、WHOの国際生活機能分類(ICF)の日本語訳(注1)にあるように、“disability”を「障害」と訳し、“impairment”を「機能障害」と訳すのが穏当なのかもしれない。あるいはカタカナを用いて、「ディスアビリティ」と「インペアメント」と訳すのも、原語の意味が明確となり、一部の人にとっては分かりやすいかもしれない。はたまた初出の場合に限っては、丁寧に分かりやすく、「障害(ディスアビリティ)」と「機能障害(インペアメント)」と訳し分けても良いのかもしれない。

前文(e)のこれらの言葉とともに留意すべきは、「障害(ディスアビリティ)のある人」と「機能障害(インペアメント)のある人」という言葉である。この条約の第1条では、「障害(ディスアビリティ)のある人」は、次のように記されている。

“Persons with disabilities include those who have long-term physical, mental, intellectual or sensory impairments….”

この文言を見ると、" Persons with disabilities" (障害のある人)と" persons with long-term physical, mental, intellectual or sensory impairments" (長期の身体的・精神的・知的・感覚的なインペアメントのある人)とは重なり合う言葉であることが分かる。また、" include" (含む)という英単語からわかるように、前者は後者を包摂するヨリ広い言葉である。

ところで、この条約においては、「障害の定義」と「障害のある人の定義」は定められなかった。その代わりに、政治的に「妥当な落とし所」として、この条約では「障害の社会モデル」を反映した、「障害の概念」と「障害のある人の概念」が定められた。

ここで第1に、わたしが「妥協の産物」ではなくて、あえて「妥当な落とし所」と表現したのは、まさしく条約自体(前文(e))に記されているように、“disability”が「形成途上の概念(an evolving concept)」だからである。硬直的な「障害の定義」を設けるのであれば、この条約の発展可能性が閉じられてしまうことになりかねない。また最悪の場合、条約交渉過程において、けっして終わることのない「障害の定義」論争が繰り広げられることで、この条約は成立しなかったかもしれない。柔軟性のある「障害の概念」を盛り込むことにより、それらの問題をさしあたり回避できたものと思われる。よく知られているように、国内法の場合には一般に、「障害の定義」はそれぞれの国のさまざまな法の趣旨と目的に応じて異なる。よって、これだけ包括的な人権条約において、単一の「障害の定義」を定めることはもとより不可能であったと言ってよい。

第2に、わたしは「障害の社会モデルを反映した」と上で述べたが、たとえば欧州を代表するディスアビリティ法研究者であるリサ・ワディントンも、すでに同様の見解を示している(注2)。ワディントンがそのように考える理由と実質的にはおおむね合致すると思われるが、わたしの理解は次のとおりである(注3)。まず「障害の医学モデル」は、障害者の被る不利(disadvantages)の原因を、個人のインペアメントに還元させる。他方、「障害の社会モデル」は、障害者の不利の原因を、個人のインペアメントに対する、社会の否定的なリアクションに求める。この否定的なリアクションは、しばしば否定的な意味合いを込めて「バリア(障壁)」と呼ばれる。この条約では、障害者の不利(障害者の平等な社会参加がなされていない状況)は、個人のインペアメントから生ずるのではなく、インペアメントとバリアとのインターアクションから生ずると記されている。この意味において、本条約における「障害の概念」は、インペアメントの問題性ではなくて、むしろインペアメントとバリアとのインターアクションの問題性に焦点を合わせている。そして、本条約の趣旨と目的に照らせば、何よりも問題視されなければならないのは、人権主体たる「インペアメントのある人」ではない。インペアメントのある人をとりまくバリア(インペアメントに対する否定的なリアクション)が最大の問題なのである。そのバリアを取り除くことにより、その人の権利を保障することが本条約の目的である。したがって本条約における「障害の概念」は、さまざまな「障害の社会モデル」(social models of disability)のうちの一形態というべきものである(注4)


  1. 障害者福祉研究会編『ICF 国際生活機能分類―国際障害分類改定版』(中央法規出版、2002年)。
  2. Lisa Waddington, A New Era in Human Rights Protection in the European Community: The Implications the United Nations' Convention on the Rights of Persons with Disabilities for the European Community (Maastricht Faculty of Law Working Paper 2007/4), Faculty of Law, Universiteit Maastricht, October 2007, p. 4.
  3. この理解は、国連ホームページ上の記述とも、実質的にほぼ合致している。ただし、国連ホームページでは、「障害の社会モデル」という言葉それ自体は用いられていない。
    UN Enable, Frequently Asked Questions regarding the Convention on the Rights of Persons with Disabilities, http://www.un.org/disabilities/documents/
    gid/conventionfaq.doc, last visited 17 September 2008.
  4. しばしば社会モデルの文脈において用いられる「障害(ディスアビリティ)」という言葉は、やや曖昧に用いられるときがある。すなわち、この言葉は、「障害者の不利」と「社会のバリア(社会の障壁)」という両方の意味で用いられる場合が見られる。しかし正確にいえば、「障害(ディスアビリティ)」とは、「社会のバリア」を意味するのではなくて、「(社会のバリアから生ずる)障害者の不利」をいう。この論点につき詳しくは、星加良司『障害とは何か―ディスアビリティの社会理論に向けて』(生活書院、2007年)44〜45頁を参照されたい。

川島聡 (かわしま さとし)

 東京大学大学院経済学研究科 特任研究員
 ウェブページ:
 http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~stskwsm/index.html

§障害をめぐる出来事・取り組み

2008年9月25日

〈分かりやすい障害者の権利条約〉の作成 (長瀬修)

日本政府が昨年(2007年)9月に署名し、批准を検討するという意思を表明した障害者の権利条約の日本語訳は、政府による仮訳以外にも、川島聡さんと私の訳(注)などがあります。この条約の交渉過程では、”Nothing about us without us”、「私たち抜きで私たちに関することを決めないでください」という言葉が障害者から繰り返されましたが、障害者の参加に情報は欠かせません。私たちが2004年1月に作成された条約の作業部会草案以来、翻訳に取り組んできたのは、まさに情報提供の役割を担いたいという気持ちからです。

その情報提供の努力の一環として、知的障害者を念頭に、分かりやすい権利条約づくりに取り組んでいます。「知的障害者」と呼ばれる人たちが直面させられる困難の一つに、情報バリアがあります。難しい表現や言葉は、知的障害者にとっては、ただのお飾りでない、意味ある参加への障壁となる場合があるからです。

私が国際活動委員長を務めている、社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会が昨年の夏から作業を始めています。昨年秋には、ありがたいことに丸紅基金の支援が決まりました。東大本郷キャンパスと新橋の育成会本部とで、これまで25回を超す会合を開いて、知的障害者自身や親を含む作業・編集メンバーと共に取り組んできましたが、私自身、大変勉強になります。

例えば、「勉強する」よりも「学ぶ」の方がやわらかく、やさしい表現だと私はなぜか思い込んでいましたが、知的障害者本人のメンバーから、「勉強」の方がストレートで分かりやすいという指摘がありました。ふつうに最もよく使われている言葉のほうが分かりやすいということです。

また、絵が多いほうが分かりやすいという誤解もしていました。これも、絵が多いとかえって集中できず、分かりづらいという発言が知的障害者本人メンバーからありました。

作業では、条文を分かりやすくしよう、最も大切なところをきちんと表現しようと苦労するのですが、自分自身でよく理解できていないところは核心部分を抜き出して分かりやすくするということがなかなかできません。原文をもう一度読んで意味を再度、考え直したり、ユニセフが作成した子ども向けの分かりやすい条約文(英文)などを参考にしたりします。当然かもしれませんが、自分自身の理解度が高い部分については、かみ砕く作業がやりやすいのです。

何とか年内には刊行にこぎつけたいと願っていますが、まだまだ胸突き八丁の段階です。完成のあかつきには、ぜひ、皆様にも目を通していただきたいと思います。知的障害者全員が分かるというものにはなりませんが、情報の垣根を知的障害者のみならず、ユニバーサルデザイン的に、社会の全員に少しでも低くするものにできればと願っています。

[注]

インターネットでは下記でご覧いただけます。
http://www.normanet.ne.jp/~jdf/shiryo/convention/
index.html

また、長瀬修・東俊裕・川島聡編著、2008年、『障害者の権利条約と日本-概要と展望』(生活書院)では、英語正文と政府仮訳、川島・長瀬訳を掲載しています。

長瀬修 (ながせ おさむ)

 東京大学大学院経済学研究科 特任准教授
 ウェブページ:
 http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~nagaseo/

§障害をめぐる出来事・取り組み

2008年5月21日

障害というコトバ:メモランダム (川島聡)

今から30年以上も前になるが、1975年12月9日に「障害者の権利宣言」(Declaration on the Rights of Disabled Persons)が国連総会で採択された。これを受けて、「国際障害者年」(International Year of Disabled Persons)である1981年に、日本政府が12月9日を「障害者の日」と宣言したことは良く知られている。これと似て非なるものが、12月3日の「国際障害者デー」である。

「国際障害者デー」の英語名は、1992年10月14日に国連総会で採択された決議には、“International Day of Disabled Persons”と記されていた(A/RES/47/3, OP2)。しかし、それから15年後の2007年12月18日に採択された国連総会決議により、この英語表記は“International Day of Persons with Disabilities”に改称された(A/RES/62/127, OP15)。

このことは、“persons with disabilities”という表記が、国連で一般化されてきていることの証のひとつである。この表記は、2006年12月13日に採択され、2008年5月3日に発効した障害者の権利条約の英正文(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)でも用いられている。頭文字をとって、“persons with disabilities”はPWDと、障害者の権利条約はCRPDとそれぞれ省略されることがある。

なお、本条約の日本政府仮訳は、“persons with disabilities”を「障害者」と訳しているが、ここでは、「障害者」という邦語表記をめぐる論争には立ち入らないでおこう。

障害者権利条約には、「障害の定義」は設けられていない。その代わりに、「障害の概念」が設けられている(注1)。それは、前文(e)に次のように記されている。

“disability is an evolving concept and that disability results from the interaction between persons with impairments and attitudinal and environmental barriers that hinders their full and effective participation in society on an equal basis with others”

これを訳せば、「障害(ディスアビリティ)は形成途上の概念である。また、障害(ディスアビリティ)は、機能障害(インペアメント)のある者と態度上及び環境上の障壁(バリア)との相互作用であって、機能障害(インペアメント)のある者が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものから生ずる」となる。

この複雑な文構造を簡単に3つの要素に分けて言えば、(1)「障害」(ディスアビリティ)は「形成途上の概念」である。(2)「障害」は、「機能障害のある者」(インペアメントのある者)とバリアとの相互作用から生ずる。(3)その相互作用は、「機能障害のある者」の平等な社会参加を妨げる。

前文(e)の英正文では、如上の引用部分にあるように、“disability”(ディスアビリティ)と“impairment”(インペアメント)とが使い分けられている。西正文も、“discapacidad”(ディスカパシダド)と“deficiencias”(デフィシエンシア)とに分けられている。仏正文も、“handicap”(アンディカプ)と“incapacites”(アンカパスィテ)とされている。

ちなみに、“handicap”(ハンディキャップ)という英単語は、英語圏では好ましくない表現と言われる場合がある。障害者の権利条約では、この英単語は用いられていない。この点、仏正文では、“handicap”(アンディカプ)という仏単語が使われているのが興味深い、と言う人がいるかもしれないが、この論点はとりあえず脇においておこう。

前文(e)の日本政府仮訳は、「障害が、発展する概念であり、並びに障害者と障害者に対する態度及び環境による障壁との間の相互作用であって、障害者が他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものによって生ずる」とされている。この政府仮訳において、“disability”(ディスアビリティ)と“impairment”(インペアメント)とが使い分けられていないことに注意する必要がある。

なお、世界保健機関(WHO)の1981年「国際障害分類」の英語版(International Classification of Impairments, Disabilities, and Handicaps: ICIDH)では、“impairment”と“disability”と “handicap”という3つの英単語が使い分けられていた(それぞれの言葉の意味内容と相互関係をめぐる論点は省略する)。これら3つの英単語にそれぞれ該当する仏単語は、“deficiences”と“incapacites”と“desavantages”である。

「国際障害分類」の改訂版である2001年「国際生活機能分類」の英語版(International Classification of Functioning, Disability and Health: ICF)では、英語の“handicap” (ハンディキャップ)が軽蔑的意味を持つという理由で、この英単語は使われていない。ICFでは、“disability”が包括用語として用いられている。この“disability”に対応する言葉は、「国際生活機能分類」の仏語版(Classification internationale du fonctionnement, du handicap et de la sante: CIF)では“handicap”(アンディカプ)であり、日本語訳では「障害」とされている(注2)

  1. 障害者の概念は、次のように、障害者の権利条約第1条に設けられている。“Persons with disabilities include those who have long-term physical, mental, intellectual or sensory impairments which in interaction with various barriers may hinder their full and effective participation in society on an equal basis with others.” この部分の日本政府仮訳は、「障害者には、長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な障害を有する者であって、様々な障壁との相互作用により他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げられることのあるものを含む」である。
  2. 障害者福祉研究会編『ICF 国際生活機能分類―国際障害分類改定版』中央法規出版 、2002年

川島聡 (かわしま さとし)
 東京大学大学院経済学研究科 特任研究員
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